古代中国の"足球"遊び
漢の時代、足球(現代でいうサッカー)が広く行なわれていたことを示す記録が残っています。
そのなかでもよく知られたものとして、後漢の政治家・文人であった李尤の「鞠城銘」があります。
その文章が意味するところは、おおよそ以下のようです。
『・・・丸い鞠と、四角い塀は陰と陽を象徴しているようだ。
定規で引いたように四角い塀と、丸い月のような鞠が相対している。
六人と六人が対等に向き合っているが、それはちょうど四角い塀の一辺と一辺が向き合っているのと同じようだ。
このように偏りなく対等なものの例は他にもある。
人間関係では偏ってはいけないし、縁故から手加減をしたり、えこひいきをしたりしてはならない。
平静な心、冷静な気持ちでいて、善し悪しに対して腹を立ててはいけない。
政治をするにも、そのような態度でいなければならない。
ましてや、物事のポイントを把握するには、そうでなければならない。』
四角い塀(方將)というのは、足球の競技場を囲んでいる塀のことであり、この「鞠城銘」という文章は、そのような塀に掲げておく目的で書かれたのです。
この文章からだけでは、どのようなボールを使っていたのか、どのようなルールのもとでプレーが行なわれていたのか、サッカーユニフォームのようなものはあったのか、どのような人びとが1チーム6人の選手となっていたのかなど・・・
この足球の具体的なことは不明です。