ゴッホの生と死 6
ゴッホにラテン語を教えたメンデス・ダ・コスタという人物がその当時のことを回想しています。
それによると、ゴッホは、
「自分の考えが本来の線から逸脱してしまったと思ったときはいつでも、棍棒を持ってベッドへ行って自分の背中をなぐりつけ」、「今夜ベッドのなかで過す権利はお前にはないのだと自分に言い聞かせたようなときは」、おのれにしめ出しの罰を課し、冬のさなかに、ベッドも毛布もない木の小屋で過したということです。
10年後の、アルルでの耳切り事件に通じる、マゾヒスム的な自己懲罰の現われがここにおいてすでに見られると言っていいでしょう。
一方で彼は、メンデス・ダ・コスタに、
「ぼくのように、貧しい人たちに平和を与え、彼らがこの世の生活に安らぎをうるような仕事にたずさわりたいと思っている人間にとって、こんなおそろしい勉強が必要だとあなたは本気で信じていますか」とか、
「ジョン・バニャンの『天路歴程』は大いにぼくのためになります。
それからトーマス・ア・ケンピスも聖書の翻訳も。
それ以外はもういらんです」とか言わざるをえないのです。
1年あまりの努力ののち、彼はついに勉学を断念し、エッテンに戻りました。
こういうわけで、彼は、牧師という職業においてさえ、世間一般の道から外れたわけですが、外れれば外れるほど、彼自身の宿命的な道へ、いっそう深く入りこむこととなります。
彼は、もっと直接的におのれの渇望を生かす道を選びます。
8月に、ブリュッセルのボグマ牧師の伝道学校に入るのです。
しかし、相変らずゴッホのなすことには不運がつきまとい、3ヵ月の養成期間が終っても免許状は与えられませんでした。